一言で言えば、日本は(社会的に)遅れている
山岸教授によれば日本人が他者を信頼する傾向は調査した国の中でもっとも低い部類に入るそうである。端的に言えば日本人は人を見たら泥棒と思い、世間の人たちの大部分は身勝手だと信じている。信頼よりも疑い、優しさよりも警戒感、希望よりも絶望が勝っている。
自分の勝手な考えだが。結論を言えばタイトル通り。
理由は以下のとおり
- 契約ベースの社会では人が信頼できるという前提がある
契約が重視される社会というのは、契約をした相手がその契約を守ってくれないと機能しない
だから「ドライな契約」が重視されるアメリカでは、子供のうちから約束を守るということを重視する教育がされる。
契約ベースということは、守れなかったときのペナルティも契約による。つまり有限責任なので人を信頼しやすい - 信頼社会は信頼する相手を見分けることで存続する
信頼社会とは、「何かあったときは自分が相手を助ける。そのかわり相手も自分を助ける」という期待によって構築される社会である。
契約と違って明文化されていないため、助けられなかった場合の不安が大きい。またどこまで助けるかも決まっていないため約束が無限責任化する。
つまり相手を見て信頼するかどうかを決めるのが「信頼社会」である。
蛇足だが、個々ごとに見分けるのは難しいのが普通なので、コミュニティに入っているかどうかで見分けるのが普通。
ということで常識である「日本は信頼社会、アメリカは契約社会」とは矛盾しない。